2019年03月28日
装飾古墳 文様の種類と解説
何度か装飾古墳を見る機会を作り人吉や玉名、菊水、和水、山鹿、熊本、松橋、八代に足を運びました。お墓に装飾を施した人たちがどういう理由で線刻や浮彫、そして絵の具を使って色々な絵を描いたのだろうか?図柄についてはっきりとしたことは判明していないそうです。でも古墳時代の人が書き残したということは何か理由があったはずです。
ニッポニカに装飾古墳の解説が分かりやすく書かれたものがありますので転載します。
装飾古墳
そうしょくこふん
石室、石棺などに彫刻、彩色を施して装飾された古墳の総称。わが国の古墳時代には5世紀から7世紀にかけて、古墳石室の入口や内部、石棺の内外面、および横穴の外壁や内部に、各種の文様や絵画を彫刻や彩色で表す風習があった。それらの分布は福岡県南部と熊本県下にもっとも多く、全国の総数約300例のうち半数以上を占める。同じ九州でも宮崎、長崎県下には少なく、鹿児島県下には発見されていない。本州では島根県東部と鳥取県西部に集中し、畿内(きない)およびその周辺にはきわめて少ない。東日本では相模(さがみ)湾周辺、および鹿島灘(かしまなだ)に面した茨城県地方に多く、これに隣接する福島県東部には集中的にみられる。それらの多くは横穴系に属し、北は仙台平野北部の宮城県志田(しだ)郡地方に及ぶ。
初期の図柄は主として直線と弧線を組み合わせた直弧文(ちょっこもん)をはじめ、円、同心円、三角形、菱形(ひしがた)などの幾何学図形文を表したものが多い。一方、5世紀前半ごろには、鏡や大刀(たち)、短甲(たんこう)、靭(ゆき)、楯(たて)など、具象的な図柄が出現し、やがて赤、白、黄、青、緑などの彩色も併用される。6世紀代になると壮麗なものが多く、なかには被葬者に関する一種の物語風場面を構成するものがあり、それらの意匠は横穴の表壁や内部に踏襲される。その点、奈良県高松塚古墳の壁画は系流を異にし、高句麗(こうくり)や唐文化の影響によるものであった。
装飾古墳の起源を中国の後漢(ごかん)や朝鮮半島の高句麗壁画墓に求める向きがあるが、無関係で、その目的には悪霊排除などの呪術(じゅじゅつ)的な意味が考えられる。しかし6世紀後半になると、大陸系の四神や日月、竜馬神話などが画題に反映し、思想的な影響があったことがわかる。[乙益重隆]
これから紹介するものはGARANDOYA CAFE ⒸNETPIA HITAの古代装飾文様 九州の装飾古墳から抜き出したものです。

円文 (えんもん)
輪状と塗りつぶしたものがあり、コンパスを使って美しく描かれたものも多数あります。5世紀から7世紀前半につくられた多くの装飾古墳に描かれており、その分布も広範囲に渡っています。その意味するところはまだ解明されていませんが、その分布から、死者のためには当然描くべき重要なシンボルであったことが推測されます。玉名市の永安寺西古墳には円文のみ計43こが描かれています。

同心円文 (どうしんえんもん)
1つの中心を元に複数の円を組み合わせた文様でコンパスを使って描かれたものが多数あります。特に美しく迫力ある壁画としてはうきは市の日岡古墳(日ノ岡古墳)が有名で、大きな同心円文6こが一面に描かれています。同心円文も円文同様多数の装飾古墳に描かれており、鏡、太陽、また呪術を意味する渦巻き文様を簡便に変化させたものではないかという説があります。

三角文 (さんかくもん)
三角形の文様で、線状と塗りつぶしたものがあり、6世紀以降~7世紀の多くの装飾古墳で見られます。朝鮮半島の古代呪術における三角文は「再生」を意味すると言われていますが、日本では「魔を祓う」意味があるのではないかと思われます。

連続三角文 (れんぞくさんかくもん)
複数の三角文を並べたものをこう呼んでいます。左の文様は玉名市の大坊古墳の壁画を図案にしてみたものですが、多数の三角形が5段に並び、できた空間に塗りつぶした円文6こが配置されているなど、大変美しい壁画となっています。

鋸歯文 (きょしもん)
三角文の組み合わせの1つです。のこぎりの歯のような文様で、左の文様は玉名市の永安寺東古墳の羨道の鋸歯文を図案化したものです。入り口にあることから侵入者を拒む効果もあったのではないでしょうか。

菱形文 (ひしがたもん)
菱形の形の文様を指しますが、三角文を並べた際にできる空間がこの形になっているものもあります。山鹿市のチブサン古墳では赤、白、青に塗り分けられた菱形文の美しくも迫力のある壁画を見ることができます。

対角線文 (たいかくせんもん)
対角線文はただのバツ印のようにも見えますが、対角線を引くことにより、そこには4つの三角形が生まれます。深い意味を持つ三角文のバリーエションの1つとも考えることができます。熊本市の千金甲古墳には、左の文様と同心円文が交互に彫刻・彩色されており大変見事です。

斜格子文 (ななめこうしもん・しゃこうしもん)
斜めの線が複数引かれてできた斜めの格子ですが、その空間には多数の菱形が生まれています。熊本県下益城郡の石之室古墳には、定規をあてて作られた美しい斜格子文の線刻があります。

蕨手文 (わらびてもん)
わらびの形をした文様で、ほとんどが2つを背中合わせに組み合わせた形をしており、主題が渦巻きであることから呪術を意味すると言われています。この文様のある古墳は大変少なく、九州にある約270の装飾古墳のうち、8~9の古墳にしか認められていません。なお、この文様を持つ古墳の被葬者は同じ一族ではないかと推測されています。

直弧文 (ちょっこもん)
直線と弧線を組み合わせた文様を直弧文といいます。直弧文が描かれている装飾古墳は5世紀につくられたものが多いので九州最古のタイプとされ、6世紀に入ると姿を消していきます。この複雑で不思議な文様は4-6世紀の本州で多様に使われ、特に武具に施されていました。熊本県上益城郡の井寺古墳では赤・青・白・緑に塗り分けられた多数の直弧文を見ることができます。

車輪状文 ( 車輪文 )
車輪とは関係なさそうですが、車輪のような形をしていることから、こう呼ばれています。左の文様は井寺古墳のものを図案化してみました。大きく描かれた直弧文と直弧文の間のスペースに、たてに2こ並べて描かれています。

鍵手文 (かぎてもん)
鍵手文は直弧文の一種とされています。左の文様は福岡県久留米市の日輪時古墳の線刻を図案化したもので、同心円文2こにはさまれた長方形の空間に、縦3段、横4こ計12こが描かれています。同じく久留米市 浦山古墳、熊本県上益城郡 熊本県千金甲1号墳、宇城市 国越古墳でも見ることができます。

双脚輪状文 (そうきゃくりんじょうもん)
輪に2つの足がついている文様で、何とも不思議な雰囲気を持っています。左の文様は熊本県の釜尾古墳のものを図案化したもので、福岡県の王塚古墳、弘化谷古墳、横山古墳の合計4つの古墳にしか見られない特別な文様です。(他に福岡県の丸山古墳にも見られるという記録がありますが、現在確認できません)この文様を持つ古墳の被葬者は同じ一族ではないかと推測されています。

六脚輪状文 (ろっきゃくりんじょうもん)
同心円文に6つの渦巻き状の足がついています。現在のところ宇佐市 貴船平下の裏山横穴墓群だけに認められ、4この赤い彩色の文様が羨道入り口に描かれており、その渦巻き状の足から呪術的な意味を持つ文様と推測されます。また足が円を囲むように配され太陽の文様のようにも見えることから、その成り立ちは双脚輪状文とは全く違う種類の文様と思われます。

珠文 ( しゅもん )
粒のようにも見える小さな円形を珠文といいます。福岡県うきは市 珍敷塚古墳、久留米市 薬師下北古墳、薬師下南古墳、熊本県玉名市 石貫穴観音横穴群、田崎横穴群などに認められています。

鏡 ( かがみ )
宇土半島、天草、八代の装飾古墳では、鏡と思われる文様が多数見られます。左の文様は熊本県天草郡の大戸鼻南古墳の浮き彫りを図案化したもので、上部には吊り下げるためのひも状のものが確認できます。熊本県八代市 長迫古墳の板石(東京国立博物館蔵)には、大戸鼻南古墳の鏡そっくりの文様がいくつも刻まれ
ているということです。

靫 (ゆき・ゆぎ)
矢を収納する入れ物で背中に背負って使うため、奴凧のような形のものが多く見られます。熊本市の千金甲古墳には緑色に塗られた8この靫と6この弓を、交互にきちんときれいに並べるなど、多数の装飾古墳に描かれています。またうきは市の重定古墳には42こもの靫が描かれており、靫負部(ゆげいべ)または靫を作る職業集団との関わりも推測されます。左の文様は人吉市の大村横穴1号の線刻を図案化してみました。

盾 (たて)
盾などの武具が
描かれる場合、船や人、馬、鳥などと併せて描かれる場合が多く、そういったケースではシンボルとしての文様ではなく、被葬者の生前、死後の様子を説明する叙事詩的な構成アイテムの1つと考えられます。

弓 ( ゆみ )
左の文様は熊本県山鹿市 鍋田横穴群27号の入り口脇の外壁に浮き彫りされた弓矢を図案化してみたものです。一般的な靫(ゆき・ゆぎ)の大きさに比すると矢が短いなという印象ですが、美しい紡錘形の先端には興味深いものがあります。

鞆 ( とも )
弓で矢を放った後、弓の弦(つる)が左手に当たるため、左手首の内側につけて手を保護する道具です。革製で中に詰め物が入っています。左の文様は福岡県筑紫野市の五郎山古墳に描かれた鞆です。うきは市 重定古墳、大分県別府市 鬼の岩屋1号墳、熊本県山鹿市 御霊塚古墳にも描かれています。

太刀 ( たち )
文字通り大きな刀のことで、左の文様は5世紀につくられた熊本県天草郡 広浦古墳の浮き彫りです。刀そのものではなく、りっぱな鞘(さや)に納められた姿は何とも良い印象です。

刀子 ( とうす )
ものを切ったり削ったりして加工する小刀を 刀子といいます。左の文様は熊本県天草郡 広浦古墳に浮き彫りされているもので、別に太刀と重ねた刀子も有り、そちらの大きさはおよそ太刀の5分の1ほどとなっています。

短甲 ( たんこう )
鎧(よろい)の一種で、左の文様は熊本県八代市の大鼠蔵東麓古墳1号墳の石棺に描かれた線刻を図案化したものです。古墳時代の短甲は鉄板製が多く、三角形の鉄板をつないで作ったものと思われます。他の古墳からは副葬品として鉄製や豪華で美しい金銅製のものが出土しています。

翳 (さしば)
中国から渡ってきた儀式に使う持ち手の長いうちわで、王族などの貴人用です。左の文様は福岡県宮若市の竹原古墳に描かれたものを図案化したものです。他には八女市 乗場古墳、佐賀県杵島郡 永池古墳、熊本県宇城市 不知火塚原古墳1号にも認められています。(一部記録のみ)
www.netpia.jp/history/index.htmより転記しました。
ニッポニカに装飾古墳の解説が分かりやすく書かれたものがありますので転載します。
装飾古墳
そうしょくこふん
石室、石棺などに彫刻、彩色を施して装飾された古墳の総称。わが国の古墳時代には5世紀から7世紀にかけて、古墳石室の入口や内部、石棺の内外面、および横穴の外壁や内部に、各種の文様や絵画を彫刻や彩色で表す風習があった。それらの分布は福岡県南部と熊本県下にもっとも多く、全国の総数約300例のうち半数以上を占める。同じ九州でも宮崎、長崎県下には少なく、鹿児島県下には発見されていない。本州では島根県東部と鳥取県西部に集中し、畿内(きない)およびその周辺にはきわめて少ない。東日本では相模(さがみ)湾周辺、および鹿島灘(かしまなだ)に面した茨城県地方に多く、これに隣接する福島県東部には集中的にみられる。それらの多くは横穴系に属し、北は仙台平野北部の宮城県志田(しだ)郡地方に及ぶ。
初期の図柄は主として直線と弧線を組み合わせた直弧文(ちょっこもん)をはじめ、円、同心円、三角形、菱形(ひしがた)などの幾何学図形文を表したものが多い。一方、5世紀前半ごろには、鏡や大刀(たち)、短甲(たんこう)、靭(ゆき)、楯(たて)など、具象的な図柄が出現し、やがて赤、白、黄、青、緑などの彩色も併用される。6世紀代になると壮麗なものが多く、なかには被葬者に関する一種の物語風場面を構成するものがあり、それらの意匠は横穴の表壁や内部に踏襲される。その点、奈良県高松塚古墳の壁画は系流を異にし、高句麗(こうくり)や唐文化の影響によるものであった。
装飾古墳の起源を中国の後漢(ごかん)や朝鮮半島の高句麗壁画墓に求める向きがあるが、無関係で、その目的には悪霊排除などの呪術(じゅじゅつ)的な意味が考えられる。しかし6世紀後半になると、大陸系の四神や日月、竜馬神話などが画題に反映し、思想的な影響があったことがわかる。[乙益重隆]
これから紹介するものはGARANDOYA CAFE ⒸNETPIA HITAの古代装飾文様 九州の装飾古墳から抜き出したものです。

円文 (えんもん)
輪状と塗りつぶしたものがあり、コンパスを使って美しく描かれたものも多数あります。5世紀から7世紀前半につくられた多くの装飾古墳に描かれており、その分布も広範囲に渡っています。その意味するところはまだ解明されていませんが、その分布から、死者のためには当然描くべき重要なシンボルであったことが推測されます。玉名市の永安寺西古墳には円文のみ計43こが描かれています。

同心円文 (どうしんえんもん)
1つの中心を元に複数の円を組み合わせた文様でコンパスを使って描かれたものが多数あります。特に美しく迫力ある壁画としてはうきは市の日岡古墳(日ノ岡古墳)が有名で、大きな同心円文6こが一面に描かれています。同心円文も円文同様多数の装飾古墳に描かれており、鏡、太陽、また呪術を意味する渦巻き文様を簡便に変化させたものではないかという説があります。

三角文 (さんかくもん)
三角形の文様で、線状と塗りつぶしたものがあり、6世紀以降~7世紀の多くの装飾古墳で見られます。朝鮮半島の古代呪術における三角文は「再生」を意味すると言われていますが、日本では「魔を祓う」意味があるのではないかと思われます。

連続三角文 (れんぞくさんかくもん)
複数の三角文を並べたものをこう呼んでいます。左の文様は玉名市の大坊古墳の壁画を図案にしてみたものですが、多数の三角形が5段に並び、できた空間に塗りつぶした円文6こが配置されているなど、大変美しい壁画となっています。

鋸歯文 (きょしもん)
三角文の組み合わせの1つです。のこぎりの歯のような文様で、左の文様は玉名市の永安寺東古墳の羨道の鋸歯文を図案化したものです。入り口にあることから侵入者を拒む効果もあったのではないでしょうか。

菱形文 (ひしがたもん)
菱形の形の文様を指しますが、三角文を並べた際にできる空間がこの形になっているものもあります。山鹿市のチブサン古墳では赤、白、青に塗り分けられた菱形文の美しくも迫力のある壁画を見ることができます。

対角線文 (たいかくせんもん)
対角線文はただのバツ印のようにも見えますが、対角線を引くことにより、そこには4つの三角形が生まれます。深い意味を持つ三角文のバリーエションの1つとも考えることができます。熊本市の千金甲古墳には、左の文様と同心円文が交互に彫刻・彩色されており大変見事です。

斜格子文 (ななめこうしもん・しゃこうしもん)
斜めの線が複数引かれてできた斜めの格子ですが、その空間には多数の菱形が生まれています。熊本県下益城郡の石之室古墳には、定規をあてて作られた美しい斜格子文の線刻があります。

蕨手文 (わらびてもん)
わらびの形をした文様で、ほとんどが2つを背中合わせに組み合わせた形をしており、主題が渦巻きであることから呪術を意味すると言われています。この文様のある古墳は大変少なく、九州にある約270の装飾古墳のうち、8~9の古墳にしか認められていません。なお、この文様を持つ古墳の被葬者は同じ一族ではないかと推測されています。

直弧文 (ちょっこもん)
直線と弧線を組み合わせた文様を直弧文といいます。直弧文が描かれている装飾古墳は5世紀につくられたものが多いので九州最古のタイプとされ、6世紀に入ると姿を消していきます。この複雑で不思議な文様は4-6世紀の本州で多様に使われ、特に武具に施されていました。熊本県上益城郡の井寺古墳では赤・青・白・緑に塗り分けられた多数の直弧文を見ることができます。

車輪状文 ( 車輪文 )
車輪とは関係なさそうですが、車輪のような形をしていることから、こう呼ばれています。左の文様は井寺古墳のものを図案化してみました。大きく描かれた直弧文と直弧文の間のスペースに、たてに2こ並べて描かれています。

鍵手文 (かぎてもん)
鍵手文は直弧文の一種とされています。左の文様は福岡県久留米市の日輪時古墳の線刻を図案化したもので、同心円文2こにはさまれた長方形の空間に、縦3段、横4こ計12こが描かれています。同じく久留米市 浦山古墳、熊本県上益城郡 熊本県千金甲1号墳、宇城市 国越古墳でも見ることができます。

双脚輪状文 (そうきゃくりんじょうもん)
輪に2つの足がついている文様で、何とも不思議な雰囲気を持っています。左の文様は熊本県の釜尾古墳のものを図案化したもので、福岡県の王塚古墳、弘化谷古墳、横山古墳の合計4つの古墳にしか見られない特別な文様です。(他に福岡県の丸山古墳にも見られるという記録がありますが、現在確認できません)この文様を持つ古墳の被葬者は同じ一族ではないかと推測されています。

六脚輪状文 (ろっきゃくりんじょうもん)
同心円文に6つの渦巻き状の足がついています。現在のところ宇佐市 貴船平下の裏山横穴墓群だけに認められ、4この赤い彩色の文様が羨道入り口に描かれており、その渦巻き状の足から呪術的な意味を持つ文様と推測されます。また足が円を囲むように配され太陽の文様のようにも見えることから、その成り立ちは双脚輪状文とは全く違う種類の文様と思われます。

珠文 ( しゅもん )
粒のようにも見える小さな円形を珠文といいます。福岡県うきは市 珍敷塚古墳、久留米市 薬師下北古墳、薬師下南古墳、熊本県玉名市 石貫穴観音横穴群、田崎横穴群などに認められています。

鏡 ( かがみ )
宇土半島、天草、八代の装飾古墳では、鏡と思われる文様が多数見られます。左の文様は熊本県天草郡の大戸鼻南古墳の浮き彫りを図案化したもので、上部には吊り下げるためのひも状のものが確認できます。熊本県八代市 長迫古墳の板石(東京国立博物館蔵)には、大戸鼻南古墳の鏡そっくりの文様がいくつも刻まれ
ているということです。

靫 (ゆき・ゆぎ)
矢を収納する入れ物で背中に背負って使うため、奴凧のような形のものが多く見られます。熊本市の千金甲古墳には緑色に塗られた8この靫と6この弓を、交互にきちんときれいに並べるなど、多数の装飾古墳に描かれています。またうきは市の重定古墳には42こもの靫が描かれており、靫負部(ゆげいべ)または靫を作る職業集団との関わりも推測されます。左の文様は人吉市の大村横穴1号の線刻を図案化してみました。

盾 (たて)
盾などの武具が
描かれる場合、船や人、馬、鳥などと併せて描かれる場合が多く、そういったケースではシンボルとしての文様ではなく、被葬者の生前、死後の様子を説明する叙事詩的な構成アイテムの1つと考えられます。

弓 ( ゆみ )
左の文様は熊本県山鹿市 鍋田横穴群27号の入り口脇の外壁に浮き彫りされた弓矢を図案化してみたものです。一般的な靫(ゆき・ゆぎ)の大きさに比すると矢が短いなという印象ですが、美しい紡錘形の先端には興味深いものがあります。

鞆 ( とも )
弓で矢を放った後、弓の弦(つる)が左手に当たるため、左手首の内側につけて手を保護する道具です。革製で中に詰め物が入っています。左の文様は福岡県筑紫野市の五郎山古墳に描かれた鞆です。うきは市 重定古墳、大分県別府市 鬼の岩屋1号墳、熊本県山鹿市 御霊塚古墳にも描かれています。

太刀 ( たち )
文字通り大きな刀のことで、左の文様は5世紀につくられた熊本県天草郡 広浦古墳の浮き彫りです。刀そのものではなく、りっぱな鞘(さや)に納められた姿は何とも良い印象です。

刀子 ( とうす )
ものを切ったり削ったりして加工する小刀を 刀子といいます。左の文様は熊本県天草郡 広浦古墳に浮き彫りされているもので、別に太刀と重ねた刀子も有り、そちらの大きさはおよそ太刀の5分の1ほどとなっています。

短甲 ( たんこう )
鎧(よろい)の一種で、左の文様は熊本県八代市の大鼠蔵東麓古墳1号墳の石棺に描かれた線刻を図案化したものです。古墳時代の短甲は鉄板製が多く、三角形の鉄板をつないで作ったものと思われます。他の古墳からは副葬品として鉄製や豪華で美しい金銅製のものが出土しています。

翳 (さしば)
中国から渡ってきた儀式に使う持ち手の長いうちわで、王族などの貴人用です。左の文様は福岡県宮若市の竹原古墳に描かれたものを図案化したものです。他には八女市 乗場古墳、佐賀県杵島郡 永池古墳、熊本県宇城市 不知火塚原古墳1号にも認められています。(一部記録のみ)
www.netpia.jp/history/index.htmより転記しました。
Posted by マー君 at 09:16│Comments(0)
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