2019年03月23日
キトラ古墳について
中国では古来、「木火土金水」の五元素が万物を形作ると考えられた。この五行思想に基づいて「青赤黄白黒」の五色を定め、方位や季節を象徴するものとした
▼文化審議会が国宝に指定するよう答申したキトラ古墳壁画(奈良県明日香村)は、石室の四方の壁に、方位に対応する神獣が描かれている。東に青竜、南に朱雀(すざく)、西に白虎、北に玄武。国内の古墳に残る貴重な極彩色壁画だ
▼季節に当てはめれば、東・青が春、南・赤は夏、西・白は秋、北・黒は冬。よって四季を青春、朱夏、白秋、玄冬と呼び、人生の「季節」を表すようにもなった
▼きょうは春分の日。このところの暖かさで、開花宣言を待ちきれずにつぼみを開く桜もあちこちに。卒業や入学、進学。舞い散る花びらと萌(も)えいづる新緑に彩られた、別れと出会いの季節は、まさに青い春
▼〈人の生涯のうち、一番美しくある青春の季節は、おのずから最も生きるにむずかしい季節である〉(伊藤整「青春」より)。人生や恋に悩み、胸の奥で暴れだす竜を抑えきれなくなりそうな若さである
▼福岡市西区の元岡古墳群から出土した「金錯銘大刀(きんさくめいたち)」も今回、重要文化財への指定が答申された。西暦570年を意味する「庚寅(こういん)」などの漢字が金で象眼されている。国内で暦が使われた最古の例となる可能性もあるそうだ。季節の移ろいを感じ、過ぎ行く年月を暦に刻んだ古人に思いをはせる春の一日。
=2019/03/21付 西日本新聞朝刊=

キトラ古墳
キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。
名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。
1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。 石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい絵が描かれています。国営飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。
造られた時代は?
7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と呼ばれる時代の終わり頃です。この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなりました。
誰の古墳か?
天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されています。
また、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。
古墳内の壁画について
キトラ古墳壁画は、石室内部に塗った漆喰の上に繊細な筆づかいで描かれたものです。本格的な天文図や、四神像の全て、動物の頭と人間の体をもった十二支像などが確認されている、学術上、価値の高い文化財です。
天文図
天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の科学的な天文図です。天の赤道や太陽の通り道である黄道が描かれ、大きな呪術的力を持つとされた北斗七星をはじめとする中国式の星座が配置されています。太陽と月も描かれています。
発見までの経緯
高松塚古墳壁画発見の直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」と知らされ、これがキトラ古墳の発掘調査に繋がる糸口となりました。 1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査が行われ、石槨の奥壁に玄武と思われる壁画を発見。 15年後の1998(平成10)年、上下左右に向きを変えるCCDカメラで探査し、青龍、白虎、天文図を発見しました。そして2001(平成13)年の調査ではデジタルカメラを用いて、南壁の朱雀を確認し、獣頭人身十二支像の存在も確認しました。
国営飛鳥歴史公園の記事より
▼文化審議会が国宝に指定するよう答申したキトラ古墳壁画(奈良県明日香村)は、石室の四方の壁に、方位に対応する神獣が描かれている。東に青竜、南に朱雀(すざく)、西に白虎、北に玄武。国内の古墳に残る貴重な極彩色壁画だ
▼季節に当てはめれば、東・青が春、南・赤は夏、西・白は秋、北・黒は冬。よって四季を青春、朱夏、白秋、玄冬と呼び、人生の「季節」を表すようにもなった
▼きょうは春分の日。このところの暖かさで、開花宣言を待ちきれずにつぼみを開く桜もあちこちに。卒業や入学、進学。舞い散る花びらと萌(も)えいづる新緑に彩られた、別れと出会いの季節は、まさに青い春
▼〈人の生涯のうち、一番美しくある青春の季節は、おのずから最も生きるにむずかしい季節である〉(伊藤整「青春」より)。人生や恋に悩み、胸の奥で暴れだす竜を抑えきれなくなりそうな若さである
▼福岡市西区の元岡古墳群から出土した「金錯銘大刀(きんさくめいたち)」も今回、重要文化財への指定が答申された。西暦570年を意味する「庚寅(こういん)」などの漢字が金で象眼されている。国内で暦が使われた最古の例となる可能性もあるそうだ。季節の移ろいを感じ、過ぎ行く年月を暦に刻んだ古人に思いをはせる春の一日。
=2019/03/21付 西日本新聞朝刊=

キトラ古墳
キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。
名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。
1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。 石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい絵が描かれています。国営飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。
造られた時代は?
7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と呼ばれる時代の終わり頃です。この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなりました。
誰の古墳か?
天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されています。
また、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。
古墳内の壁画について
キトラ古墳壁画は、石室内部に塗った漆喰の上に繊細な筆づかいで描かれたものです。本格的な天文図や、四神像の全て、動物の頭と人間の体をもった十二支像などが確認されている、学術上、価値の高い文化財です。
天文図
天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の科学的な天文図です。天の赤道や太陽の通り道である黄道が描かれ、大きな呪術的力を持つとされた北斗七星をはじめとする中国式の星座が配置されています。太陽と月も描かれています。
発見までの経緯
高松塚古墳壁画発見の直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」と知らされ、これがキトラ古墳の発掘調査に繋がる糸口となりました。 1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査が行われ、石槨の奥壁に玄武と思われる壁画を発見。 15年後の1998(平成10)年、上下左右に向きを変えるCCDカメラで探査し、青龍、白虎、天文図を発見しました。そして2001(平成13)年の調査ではデジタルカメラを用いて、南壁の朱雀を確認し、獣頭人身十二支像の存在も確認しました。
国営飛鳥歴史公園の記事より