2018年11月20日

古墳の治定問題

これは2016年7月の毎日新聞の記事。
天皇陵に対しての当時行政改革担当大臣だった河野太郎が陵墓を預かる宮内庁に向けて陵墓の治定を見直すべきではないかと話されたものです。それに対しての答えは意味不明。

正確な調査もせず「天皇陵」を指定する、宮内庁の奇妙なご対応
●学説と異なる天皇陵「指定再考を」(毎日新聞 7月1日)

河野太郎行政改革担当相は30日、堺市堺区の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を視察した。その際、継体天皇陵を例に、「天皇陵と言われているものに間違いがあってはいけない」と述べ、歴史学や考古学の定説と異なる陵墓については、指定を改める必要があるとの考えを示した。

河野氏は観光資源として価値のある国の施設の開放を進めており、視察はその一環。宮内庁は太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)を継体天皇陵と指定しているが、学説上、継体天皇陵として有力なのは、大阪府高槻市の今城塚古墳とされる。

河野氏は視察後の取材に「天皇陛下が参拝される場所が間違っているというのは、大変失礼なことになる」と述べ、「専門家から見て時代が合わないところは、宮内庁も謙虚に耳を傾けていかなければならない」と指摘。同行した宮内庁陵墓課の担当官は「現在の陵墓の治定(指定)をしっかり守るのが基本。100%の証拠があれば変更するが、学説や時代によって陵墓の治定が変わるのは望ましくない」と反論した。

★治定(じじょう)とは、決定するとか意見が収斂(しゅうれん)されてその内容で落ち着く事を言う言葉です。宮内庁陵墓課による「学説や時代によって陵墓の治定が変わるのは望ましくない」という日本語の使い方もおかしいです。意見が割れているということは、治定していないということなのですから、候補として言うならともかく、XXXX陵と言ってしまうのはおかしいのです。(歴史探究社のコメント)

古墳の治定問題
史跡今城塚古墳は、三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約360メートルをはかり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。
今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です。今後の整備・公開に向けて平成9年から確認調査を行っており、古墳の規模をはじめ、のちの城砦や地震による変形の様子など、貴重な成果が得られています。なかでも平成13・14年度の調査 で北側内堤からみつかった埴輪祭祀区(はにわさいしく)は、大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めています。
なお今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。


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Posted by マー君 at 16:23│Comments(0)歴史
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