2017年07月29日

宗像三女神の出現③

宗像三女神の出現③
宗像三女神の出現③
宗像三女神の出現③

沖ノ島の信仰の源流はいつ頃から始まったのでしょうか。
記紀によると三女神は天照大神と弟の素戔嗚尊(すさのうのみこと)の誓約(うけい)によって誕生しました。
この場面は日本書紀冒頭の「国生み」などに続く重要場面として登場します。
沖津宮に田子姫神(たごりひめのかみ)、中津宮に湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮に市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が降臨し、三女神は朝鮮半島航路(海北道中)の守り神となりました。
現地での三女神信仰はいつ頃成立したのだろう。
考古学的にさかのぼれるのは沖ノ島で営まれた国家的祭祀(4世紀後半~9世紀)が大島の御嶽山祭祀遺跡でも営まれたとされる7世紀後半までです。
だからこそ8世紀前半に成立した記紀にも三女神と三つの宮の名が記されているのです。
三女神の名にも意味があり、「タゴリ」は水が逆巻き湧き上がる様子や会場に発生する霧のこと。
「タギツ」も水の湧き上がりや速い流れを表す。
「イチキ」は「斎き」(御霊を祭る、神霊が取りつく)に通じる。
いずれも海への畏敬が信仰に結びついたことがうかがえます。
島全体が神体の沖ノ島、中継地の大島、辺津宮近くの港湾という重要な三カ所と三女神が対応しているという考えになります。
以上のことから7,8世紀には既に三女神への信仰の歴史があったと考えられています。
朝鮮半島との交渉に向け、外洋航路の優れた水先人である現地豪族・宗像氏と結びついたヤマト王権が、現地で祭られていた神を重視し、国家の神に組み入れたと思われます。
三女神が格別な扱いを受けたことは、天上の国「高天原」で天照大神と素戔嗚尊という最高クラスの神による誓約で誕生した経緯から明らかです。
さらに三女神には「道主貴・みちぬしのむち」という尊称があります。
「貴」は神への尊い呼び名とされ、天照大神や出雲の大国主といった有力な神の別名に見られます。
実際に宗像や出雲などには、国家が特別な神社に対し独自の租税権を与える「神郡」が設置されていました。
出雲の大国主は、三女神の田子姫神を妻としています。
素戔嗚尊も出雲系の神です。
宗像が海を通じて瀬戸内海側のヤマトと日本海側の出雲の双方と結びついていたことが神話に投影されていると考えられます。
三女神信仰の起源を探ることは日本神道、神社のルーツの解明にもなります。
三女神信仰の原点は、沖ノ島を畏敬する原始的な信仰だったとすれば、変遷を探るヒントも沖ノ島にあるのだろう。
沖ノ島の祭祀遺跡で見つかった6~7世紀の金銅製馬具などについては、三女神が誕生した誓約の場面の再現に使ったとの説を国文学者の益田勝美氏(故人)が唱えています。
このほか、大島で見つかった銀製指輪なども三女神信仰の広がりと関わる可能性を秘めています。

宗像三女神の出現③
三女神を研究することにより出雲や大和との関係が明らかになりその先には大和朝廷の姿も見えてきます。


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Posted by マー君 at 11:50│Comments(0)歴史
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