2017年03月20日
水銀朱の話
歴史の教科書がつい最近改められた事柄がまた元に戻される案件があるのをご存知ですか。聖徳太子の問題や江戸時代の鎖国に関する問題です。文科省に関しては天下りの問題が大きく取り沙汰され、問題がほぼ収まったかのように思った頃にまた新たな天下りの問題が出てきたようで、教育を担う役所として非常に情けない話が続いております。教育する者がこんな体たらくでは日本の先行きが真っ暗です。こんな中、遺跡の発掘から古代の交易史に新たな歴史が開けようとしています。
北九州市小倉南区城野一丁目の城野遺跡の方形周溝墓から出土した石棺2基
北九州・城野遺跡 石棺の水銀朱は中国産
九博・志賀研究員が分析
被葬者像、地域間交流知る手掛かりに
北九州市小倉南区の城野遺跡で出土した石棺(弥生時代終末期=約1800年前)に塗られた赤色顔料(水銀朱)が中国産である可能性が高いことが分かった。九州国立博物館の志賀智史主任研究員(保存科学)が同市芸術文化振興財団の紀要で発表する。石棺は北九州最大級の方形周溝墓で見つかった。当時の地域間交流の様相を知る手掛かりとなりそうだ。
城野遺跡は紫川上流域にある集落跡。方形周溝墓(東西約16メートル、南北約24メートル)で箱式石棺慕2基が見つかった。被葬者はいずれも幼児で、石棺内は貴重な水銀朱が1~2センチの厚さで塗られていた。2基の構築には時間差があるとみられる。
志賀さんは、水銀朱に含まれる硫黄の同位体比を調べ、水銀朱の原料となる辰砂鉱山のデータと比較。2基とも中国産を示すデータが出た。南側の石棺は現在の貴州省産に、北側の石棺は貴州省産と陜西省産(きょうせいしょうさん)の中間に近い値という。両省には辰砂鉱山が集中している。
九州では弥生時代中期以降、中国産の水銀朱の使用地域が拡大傾向にあり、「今回は妥当な結果」と志賀さん。ただ、機内で大和政権が成立していく時期と重なるため、多量の水銀朱を入手できた城野遺跡は「(九州と本州をつなぐ)交易ルート上の重要な拠点かもしれない」とも話す。
分析結果について奈良大の今津節夫教授(保存科学)は「交易で得られた富が集中する地域が(伊都国や奴国がある地域だけでなく)北九州にもあった。科学的に舶来品と証明された意義も大きい」と指摘する。
城野遺跡など一帯の発掘成果を踏まえ、古代中国の史書「魏志倭人伝」に登場しない「クニ」が存在したと考える研究者もいる。今回の成果は直ちにその存在を裏付けるものではないが、地道な研究の積み重ねが、弥生時代から古墳時代への転換期における北九州地域の実態解明につながるはずだ。
2017・03・20 西日本新聞 文化
しん‐しゃ【×辰砂/×辰▽沙】〔中国の辰州で産する砂の意〕
1 水銀と硫黄とからなる鉱物。深紅色または褐赤色で、塊状・粒状で産出。水銀製造の原料、また、赤色顔料の主要材料。漢方では消炎・鎮静薬などに用いる。丹砂。朱砂。
2 銅を含み、鮮紅色に発色する釉(うわぐすり)。また、それを用いた陶磁器や釉裏紅(ゆうりこう)などの日本における通称。辰砂釉(しんしゃゆう)。銅紅釉(どうこうゆう)。

北九州・城野遺跡 石棺の水銀朱は中国産
九博・志賀研究員が分析
被葬者像、地域間交流知る手掛かりに
北九州市小倉南区の城野遺跡で出土した石棺(弥生時代終末期=約1800年前)に塗られた赤色顔料(水銀朱)が中国産である可能性が高いことが分かった。九州国立博物館の志賀智史主任研究員(保存科学)が同市芸術文化振興財団の紀要で発表する。石棺は北九州最大級の方形周溝墓で見つかった。当時の地域間交流の様相を知る手掛かりとなりそうだ。
城野遺跡は紫川上流域にある集落跡。方形周溝墓(東西約16メートル、南北約24メートル)で箱式石棺慕2基が見つかった。被葬者はいずれも幼児で、石棺内は貴重な水銀朱が1~2センチの厚さで塗られていた。2基の構築には時間差があるとみられる。
志賀さんは、水銀朱に含まれる硫黄の同位体比を調べ、水銀朱の原料となる辰砂鉱山のデータと比較。2基とも中国産を示すデータが出た。南側の石棺は現在の貴州省産に、北側の石棺は貴州省産と陜西省産(きょうせいしょうさん)の中間に近い値という。両省には辰砂鉱山が集中している。
九州では弥生時代中期以降、中国産の水銀朱の使用地域が拡大傾向にあり、「今回は妥当な結果」と志賀さん。ただ、機内で大和政権が成立していく時期と重なるため、多量の水銀朱を入手できた城野遺跡は「(九州と本州をつなぐ)交易ルート上の重要な拠点かもしれない」とも話す。
分析結果について奈良大の今津節夫教授(保存科学)は「交易で得られた富が集中する地域が(伊都国や奴国がある地域だけでなく)北九州にもあった。科学的に舶来品と証明された意義も大きい」と指摘する。
城野遺跡など一帯の発掘成果を踏まえ、古代中国の史書「魏志倭人伝」に登場しない「クニ」が存在したと考える研究者もいる。今回の成果は直ちにその存在を裏付けるものではないが、地道な研究の積み重ねが、弥生時代から古墳時代への転換期における北九州地域の実態解明につながるはずだ。
2017・03・20 西日本新聞 文化
しん‐しゃ【×辰砂/×辰▽沙】〔中国の辰州で産する砂の意〕
1 水銀と硫黄とからなる鉱物。深紅色または褐赤色で、塊状・粒状で産出。水銀製造の原料、また、赤色顔料の主要材料。漢方では消炎・鎮静薬などに用いる。丹砂。朱砂。
2 銅を含み、鮮紅色に発色する釉(うわぐすり)。また、それを用いた陶磁器や釉裏紅(ゆうりこう)などの日本における通称。辰砂釉(しんしゃゆう)。銅紅釉(どうこうゆう)。
Posted by マー君 at 16:02│Comments(0)
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