2016年11月11日
「日暮らし」って・・
先日の11/9・水曜日に八代市の図書館で図書館講座がありました。題名は「運慶にまなぶ日暮らし」で講師は小山一廣さんです。話を聞くまで何の話なのか全く見当がつきませんでしたが、話を聞きこうして話のおさらいをしてみると何とか理解することができます。
「運慶にまなぶ日暮らし」のお話は①奈良炎上(1180)の頃の時代の空気、②東大寺南大門の金剛力士像はなぜ阿吽が逆なのか、③多忙な運慶、力士像を刻む、④水上勉氏の「一日暮らし」、⑤男たちのその後の順で話をされましたが運慶の「日暮らし」と水上勉の「一日暮らし」とが結局は結びつくような話です。「日暮らし」という言葉に意味があり、「日暮らし」は普通は一日を暮らす意で、 一日中。終日。朝から晩まで。の事なのですが、水上勉(著)の『一日暮らし』は心筋梗塞で倒れ、死の淵をさまよった著者が辿りついた江戸時代の禅僧、正受老人の教えを著わしたもの。「一日だけよく生きる」と考えれば、人間はどれほど重荷から解放されることか。「一日だけ」と思えばどんな苦難にも耐えられるだろうし、楽しいといって溺れてもいられない。まして、命やモノにしがみつくのは愚かなことだ。命はあしたで終わりかもしれないのだ。モノがどれほどあっても、心の豊かさとは関係ない。この思想の根源は、中国の禅僧、天祖慧能(えのう)の「本来無一物」にある。慧能の行跡と、大きな影響を受けた日本の高僧たちの営為を探り、現代人の生き方に警鐘を鳴らす貴重な一書。・・と紀伊国屋書店が本の内容説明をしています。
運慶は金剛力士像を創るにあたって、16人の小仏師と多くの番匠を伴い仁王像を作成しますが「部分こそ全体である」と弟子たちが受け持っている仁王像の一部分の仕事の大切さを説き、運慶が全体をプロデュースして建仁3年(1203)7月24日、金剛力士像をつくりはじめ10月3日には力士像の開眼供養を終えています。この運慶の考え方と水上勉の著書「一日暮らし」の心境を小山一廣さんは繋げていかれたのだと思います。
水上勉(著)の『一日暮らし』
「たった一日でよい。あすも、あさっても生きたいと思うから、この世がめんどうになる。今日一日を何とか、人に厄介をかけず、健康ですごせたらと、そればかりの工夫なら、あてがはずれても一日のことだから、雨でも嵐でも、まあ辛抱できるというものだろう」(「一日暮らし」書き出しより)
道鏡 慧端(どうきょう えたん・1642年 - 1721年)江戸時代の臨済宗の僧侶で正受老人の名で知られている人の名言に、
一大事と申すは、今日ただ今の心なり
吾れ世の人と云ふに,
一日暮らしといふを工夫せしより,
精神すこやかにして,又養生の要を得たり.
如何ほどの苦しみにても,一日と思へば堪へ易し.
楽しみも亦(また),一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ.
一日一日と思へば,退屈はあるまじ.
一日一日をつとむれば,百年千年もつとめやすし.
一大事と申すは,今日只今の心なり.
--- 正受老人集
「今日すべき事を翌日に持ち越さず、今日する事は今日きちんとやり、そして今日は自分ながら一生懸命やったな。と言う満足感を得られるような暮らしを心掛けたいものだ。今日の事は今日始末せよ。」とおっしゃっていますが、運慶や水上勉の「日暮らし」の言葉の意味も同じような意味合いのものだと思います。

光圓寺の梵鐘
そして講師の小山一廣さんって今までの講座では聞いた事がなかったのですが、図書館の説明では光圓寺住職とのことでした。光圓寺は八代の通町にあり、このお寺が所有する鐘が熊本の歴史や文化に大きな影響を与えた細川三斎(=忠興)ゆかりの品で、県の重要文化財になっています。
若い時織田信長に仕えた忠興は、15歳で信長の雑賀一揆討伐(さいかいっきとうばつ)に参戦し、一番乗りの手柄をあげて信長に褒められました。翌年、信長の命により、明智光秀の娘玉子(たまこ【=ガラシャ】)と結婚。光秀が起こした本能寺の変のとき、忠興は20歳でした。
梵鐘に彫られた銘文(めいぶん)によれば、忠興は信長を供養する寺(泰厳寺【たいがんじ】)を建て、信長の33回忌にあたる慶長19年(1614)、この梵鐘を造らせ、小倉にあった泰厳寺に寄進しました。寛永9年(1632)、忠興は八代城に入り、泰厳寺も八代城下へ移されました。
明治維新後、現在の八代市立第一中学校のところにあった泰厳寺は廃寺となり、梵鐘は忠興にゆかりのある光圓寺に引き取られました。表面に慶長19年(1614)、宝暦7年(1757)、明治24年(1891)の銘文があり、信長と細川家との深い絆を後世に伝えるため、多くの人が尽力してきたことがわかります。【文化財さんぽ⑬より】

「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31 529 3553
6/1 -6/30 217 3770
7/1 -7/31 113 3880
8/1 -8/31 111 3994
9/1 -9/31 74 4068
10/1-10/31 55 4123
11/1 5 4128
11/2 0 4128
11/3 0 4128
11/4 1 4129
11/5 0 4129
11/6 1 4130
11/7 1 4131
11/8 1 4132
11/9 2 4134
11/10 1 4135
※11/11 本日10;12震度4の地震がありました。11月に入って起きている地震は昨日までは震度2以下のものばかりです。突然震度4今後要注意!
「運慶にまなぶ日暮らし」のお話は①奈良炎上(1180)の頃の時代の空気、②東大寺南大門の金剛力士像はなぜ阿吽が逆なのか、③多忙な運慶、力士像を刻む、④水上勉氏の「一日暮らし」、⑤男たちのその後の順で話をされましたが運慶の「日暮らし」と水上勉の「一日暮らし」とが結局は結びつくような話です。「日暮らし」という言葉に意味があり、「日暮らし」は普通は一日を暮らす意で、 一日中。終日。朝から晩まで。の事なのですが、水上勉(著)の『一日暮らし』は心筋梗塞で倒れ、死の淵をさまよった著者が辿りついた江戸時代の禅僧、正受老人の教えを著わしたもの。「一日だけよく生きる」と考えれば、人間はどれほど重荷から解放されることか。「一日だけ」と思えばどんな苦難にも耐えられるだろうし、楽しいといって溺れてもいられない。まして、命やモノにしがみつくのは愚かなことだ。命はあしたで終わりかもしれないのだ。モノがどれほどあっても、心の豊かさとは関係ない。この思想の根源は、中国の禅僧、天祖慧能(えのう)の「本来無一物」にある。慧能の行跡と、大きな影響を受けた日本の高僧たちの営為を探り、現代人の生き方に警鐘を鳴らす貴重な一書。・・と紀伊国屋書店が本の内容説明をしています。
運慶は金剛力士像を創るにあたって、16人の小仏師と多くの番匠を伴い仁王像を作成しますが「部分こそ全体である」と弟子たちが受け持っている仁王像の一部分の仕事の大切さを説き、運慶が全体をプロデュースして建仁3年(1203)7月24日、金剛力士像をつくりはじめ10月3日には力士像の開眼供養を終えています。この運慶の考え方と水上勉の著書「一日暮らし」の心境を小山一廣さんは繋げていかれたのだと思います。
水上勉(著)の『一日暮らし』
「たった一日でよい。あすも、あさっても生きたいと思うから、この世がめんどうになる。今日一日を何とか、人に厄介をかけず、健康ですごせたらと、そればかりの工夫なら、あてがはずれても一日のことだから、雨でも嵐でも、まあ辛抱できるというものだろう」(「一日暮らし」書き出しより)
道鏡 慧端(どうきょう えたん・1642年 - 1721年)江戸時代の臨済宗の僧侶で正受老人の名で知られている人の名言に、
一大事と申すは、今日ただ今の心なり
吾れ世の人と云ふに,
一日暮らしといふを工夫せしより,
精神すこやかにして,又養生の要を得たり.
如何ほどの苦しみにても,一日と思へば堪へ易し.
楽しみも亦(また),一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ.
一日一日と思へば,退屈はあるまじ.
一日一日をつとむれば,百年千年もつとめやすし.
一大事と申すは,今日只今の心なり.
--- 正受老人集
「今日すべき事を翌日に持ち越さず、今日する事は今日きちんとやり、そして今日は自分ながら一生懸命やったな。と言う満足感を得られるような暮らしを心掛けたいものだ。今日の事は今日始末せよ。」とおっしゃっていますが、運慶や水上勉の「日暮らし」の言葉の意味も同じような意味合いのものだと思います。
そして講師の小山一廣さんって今までの講座では聞いた事がなかったのですが、図書館の説明では光圓寺住職とのことでした。光圓寺は八代の通町にあり、このお寺が所有する鐘が熊本の歴史や文化に大きな影響を与えた細川三斎(=忠興)ゆかりの品で、県の重要文化財になっています。
若い時織田信長に仕えた忠興は、15歳で信長の雑賀一揆討伐(さいかいっきとうばつ)に参戦し、一番乗りの手柄をあげて信長に褒められました。翌年、信長の命により、明智光秀の娘玉子(たまこ【=ガラシャ】)と結婚。光秀が起こした本能寺の変のとき、忠興は20歳でした。
梵鐘に彫られた銘文(めいぶん)によれば、忠興は信長を供養する寺(泰厳寺【たいがんじ】)を建て、信長の33回忌にあたる慶長19年(1614)、この梵鐘を造らせ、小倉にあった泰厳寺に寄進しました。寛永9年(1632)、忠興は八代城に入り、泰厳寺も八代城下へ移されました。
明治維新後、現在の八代市立第一中学校のところにあった泰厳寺は廃寺となり、梵鐘は忠興にゆかりのある光圓寺に引き取られました。表面に慶長19年(1614)、宝暦7年(1757)、明治24年(1891)の銘文があり、信長と細川家との深い絆を後世に伝えるため、多くの人が尽力してきたことがわかります。【文化財さんぽ⑬より】

「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31 529 3553
6/1 -6/30 217 3770
7/1 -7/31 113 3880
8/1 -8/31 111 3994
9/1 -9/31 74 4068
10/1-10/31 55 4123
11/1 5 4128
11/2 0 4128
11/3 0 4128
11/4 1 4129
11/5 0 4129
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11/7 1 4131
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11/9 2 4134
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生活習慣病重症化予防教室
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学芸員のこだわり八代学(第5回)
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