2016年03月02日

徳淵の津と河童

八代宮から鳥居をくぐり抜けて直線で真っすぐ5分ほど歩くと球磨川の支流の前川に突き当たります。その場所は昔「徳淵の津」と言われた場所です。今は港として栄えた時に、白い石灰岩で造られた堤防の階段が残っているだけですが、八代の歴史には欠かせない重要な場所です。

【写真は徳淵の津➡八代宮になっています】
徳淵の津と河童
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徳淵の津と河童
徳淵の津と河童

http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/r/m/2/p320_m2nRqFP8qUyHgfI9hvBuyN3W.jpg
八代城跡の南約500m、前川橋のたもとに石碑があります。「河童渡来之碑」と刻まれた碑文によると、仁徳天皇時代(313~399)に中国から九千匹の河童が揚子江(長江)を下り、黄海を経て八代に上陸したとあります。(八代市ホームページより) ※http://をクリックすれば石碑が出ます

河童については八代に上陸した河童が、日本全国に広がったという話もありますし、加藤清正がいたずらをする河童に猿を使って懲らしめ、筑後川に逃げた河童が久留米の水天宮の御守り役になったなどの話があり、日本各地の河童伝説はこの地から始まったかもしれません。
民家の壁に河童の絵があったり、その横にも大きな河童の像もあります。徳淵の津のまわりは河童だらけです。八代には河童九千坊音頭も作られています。今はあまり耳にしませんが、河童で町おこしという時代があったのでしょう。
「徳淵の津」という場所、河童伝説では無くて、大陸との貿易港としての歴史を強く残す様な取り扱い方をした方が地域の為には良いように思われるのですが?・・・
徳淵の津と河童
徳淵の津と河童


そうそう河童が「尻小(子)玉を抜く」という話も八代ではよく聞きますがご存知ですか。

●尻子玉・・肛門の所にあると考えられた玉。尻小玉とも。ヒトの肛門内にあると想像された架空の臓器。河童(かっぱ)が好んで抜くといわれたもので、これを抜かれると、力が抜けおちてしまうとされる。

徳淵の津と河童
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Posted by マー君 at 09:51│Comments(0)
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