もう少し知っておこう八代の事八代宮正面入り口

八代宮について・・・

八代の城跡にある八代宮は何時頃出来て、どんな神様を祀っている神社なのか、八代の人はみんな知っているのだろうか。堀の石垣に囲まれた八代宮は天守閣が残っていないだけに、神社だけがそこにあるのは「神社の為のお城」異様な感じがしないでもない。松井神社から道路を挟んで真向いの北参道神橋には官幣中社の名がある。官幣中社の名があるという事は国が定めた神社という事。橋を渡ると八代宮の裏側になるが、まわりはすべて八代宮の庭になっている。
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妙見町の水無川の南岸に懐良親王の墓所があります。懐良親王(かねよししんのう/かねながしんのう)は後醍醐天皇の皇子として征西大将軍となり、九州における南朝方の中心人物として足利軍と戦い活躍し、弘和3年(1383)に亡くなりました。親王は福岡県八女郡矢部村で亡くなりましたが、縁の深かった八代に墓が築かれました。墓所内には大正5年に発見された、親王御自筆銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)(市指定文化財)がおかれています

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もう少し知っておこう八代の事懐良親王御陵
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明治維新以降、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、懐良親王の墓所がある八代の住民からも、懐良親王と良成親王を祀る神社を創建し、鎌倉宮・井伊谷宮と並ぶ官幣中社にしてほしいという請願が何度かなされた。八代城の跡地は官有地と民有地があったが、1881年(明治14年)に民有地が神社のために寄付されたため、八代城址は全体が神社の境内になりました。
八代宮は懐良親王を主祭神とし明治17年4月に鎮座祭が行われ、霊代が納められました。懐良親王歿後に征西将軍職を継いだ良成親王(よしなりしんのう/ながなりしんのう)を明治19年1月に配祀しました。
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昔お城であったお城の敷地は、今は全部八代宮の庭です。城の敷地の中に神社があるところは色々あると思いますが、お城があった所全部が神社というのも珍しいと思います。八代はお城がなくて城跡はすべて神社です。

旧石器時代 – 紀元前14000年頃
縄文時代 前14000年頃 – 前数世紀
弥生時代 前数世紀 – 後3世紀中頃
古墳時代 3世紀中頃 – 7世紀頃
飛鳥時代 592年 – 710年
奈良時代 710年 – 794年
平安時代 794年 – 1185年
鎌倉時代 1185年 – 1333年
建武の新政 1333年 – 1336年
室町時代 1336年 – 1573年
南北朝時代 1336年 – 1392年【八代宮は時代としてはこの頃に関係するお宮です】
戦国時代 1467年(1493年) – 1590年
安土桃山時代 1573年 – 1603年
江戸時代 1603年 – 1868年
幕末 1853年 –1868年
明治時代 1868年 – 1912年
大正時代 1912年 – 1926年
昭和時代 1926年 – 1989年
連合国軍占領下 1945年 – 1952年
平成時代 1989年 – 現在

九歳の時に九州に来た「懐良親王」は、40年に及ぶ九州での南北朝の
抗争の果て、1383年3月27日 五十五歳にて没したとされている。
「懐良親王」の墓所は数箇所あり、九州には八代市「宮内庁管理」「悟真寺」
の墓陵が今のところ公式の墓陵である。
その外「星野村、大円寺」、「久留米市、千光寺」にもあります。
「親王」は矢部(星野谷とも)で没したとされているが、宮内庁公式陵墓は
八代市です。
もう少し知っておこう八代の事悟真寺

八代宮は、南北朝時代にこの地で活躍した懐良親王を祀る神社で、悟真寺や宮内庁管理の懐良親王の墓所などが、八代にあるという事で明治時代に建てられた神社です。

奈良木町 宮園186に懐良親王や良成親王にも関係がある高田御所があったとされる場所があります。
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高田御所跡
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Posted by マー君 at 17:22│Comments(0)
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