2013年08月27日
八代海沿岸の神社と神々

妙見宮
8月21日に図書館にて佐藤伸二先生の「八代の歴史」について「八代海沿岸の神社と神々」と題しての講座がありました。歴史には興味があるのですが、お話の中身が神社となるとちょっと抵抗を感じました。知識が全くないからです。聞いていても話について行けないんです。佐藤先生は郷土史家の方で戴いたレシピを見ると細かな部分までよく調べられているなと感心させられます。この日の話の内容は八代地域一帯には妙見信仰が根強く残っていて、日本各地にみられる諏訪信仰の形跡がほとんど見受けられない「国郡一統志・肥後国誌」と言う研究結果と何故なのか?と言う疑問です。先生の所見によると、小西行長(キリシタン大名)がこの地を統治していた時代に小西領の信仰に対しての影響を受けて諏訪信仰やその他の神社信仰が消えていった可能性があると述べられています。・・少し難しすぎて・・・
・・神社や神道について少し調べました。
神道は日本の民族信仰。日本民族の間に発生し、儒教・仏教など外来の宗教・思想などと対立しつつ、しかもその影響を受けて発達し、その精神生活の基盤となってきた民族信仰のこと、さらにその民族信仰を根底としての国民道徳、倫理、習俗までを含めていう場合もある。
神道の原初形態とみられるものは、農耕文化、稲作と大きな関係があり、弥生(やよい)式文化の時代まで進み、農耕生活が定着し始めたころに、神道の原初形態は成立したものとみられる。つまり、この国土の各地に人々が定着して共同体をつくり、農耕を始めたとき、その共同体の生活のなかで、農耕に関連してなされた祭りより神道は発したとみられるのである。
自然と深いかかわりをもった生活のなかで、具体的に接した日、月、海、山、川、木、また雷、風など自然物、自然現象などに、人力以上の威力、呪力(じゅりょく)、神聖性を感じ、それをカミとして畏敬(いけい)したことがみられる。すなわち自然崇拝的なカミであるが、これがいちばん多くみられる。次に鏡、剣、玉などにも霊力、神聖性をみての庶物崇拝的なカミ観念の存したこともみられる。
神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、神道の信仰に基づき作られた、恒設の祭祀施設、及びその施設を中心とした祭祀儀礼・信仰を行う組織。鳥居の内の区域一帯を、神霊が鎮まる神域とみなす。神社によっては式年遷宮の習わしがあり、数年ごとに、社殿などを新しく造り替える場合もある。
古くは社殿がなくとも「神社」とした。神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、俗(生活に活かす)の山、滝、岩、森、巨木と区別したのである。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が御神体から移し祀られた祭殿が常設化したものとされる
神社の種類と数について
神社本庁が平成2年(1990年)から平成7年(1995年)にかけて実施した「全国神社祭祀祭礼総合調査」に基づく数字では神社の数は79,335社です。ただ明治の国家統制(国家神道)によって、日本の伝統的な祭神の多くが捨てられ、「王権神話」の神への祭神変更が行われ神仏分離の処置で、本来の祭神や社の姿が現在では非常に見え難くなっているのが現状です。
もっとも数が多いのは、大分県の宇佐神宮を総本宮とする八幡信仰(八幡神社・若宮神社・八幡大神社など)です。神社数にして7,817社、なんと全体の約一割を占めています。
第二位は、4,425社を数えた伊勢信仰。ここ伊勢神宮(三重県)の皇大神宮(内宮)には皇室の 祖神 おやがみ である 天照大神 あまてらすおおみかみ が祀られています。もともとは皇室の氏神的存在でしたが、中世以降に武士による東国への勧請が盛んになり、しだいに庶民の参詣も隆盛をみせるようになりました。
三番手は天神信仰。学問の神さまとしても有名な菅原道真を崇敬の対象としています。神社数は3,953社、宗祀は京都の北野天満宮です。道真の霊威が雷に代表されることからもわかるように、初めは天候を司る神とされたが、やがて文道・詩歌、連歌の神としての性格が付与されるようになり、さらに江戸時代には、学問の神さまとして広く信仰を集めていきました。
以下、稲荷信仰(2970社)、熊野信仰(2693社)、諏訪信仰(2616社)、祇園信仰(2299社)、白山信仰(1893社)、日吉信仰(1724社)、山神信仰(1571社)--と続きます。
別の資料では
稲荷社(約19800社)、八幡社 (約14800社)、天神社(天満宮) (約10300社)、諏訪神社 (約5700社)、神明神社 (約5400社)、熊野神社(約3300社)、春日神社 (約3100社)、八坂神社 (約2900社)、白山神社 (約2700社)、住吉神社 (約2100社)、日吉(山王)神社 (約2000社)、金毘羅神社 (約1900社)、恵比寿神社 (約1500社)
とありますが上の資料が正しいのではないかと思います。
地区別祭神分布(多い祭神)
『北海道・東北』 八幡・伊勢・稲荷・熊野
『関東』 八幡・伊勢・稲荷・熊野
『北陸・甲信』 八幡・伊勢・諏訪・白山
『東海』 八幡・伊勢・白山
『近畿』八幡・春日・稲荷
『中国』 八幡・天神・稲荷
『四国』 八幡・天神・山神
『九州』 八幡・天神・熊野・貴船
所在地別神社数(沖縄を除く)
数が多い順
1 新潟 4778社 2 兵庫 3840社 3 福岡 3385社 4 愛知 3334社 5 岐阜 3227社 6 千葉 3173社 7 福島 3029社 8 静岡 2859社
9 長野 2734社 10 茨城 2464社 11 富山 2178社 12 高知 2171社 13 大分 2130社 14 埼玉 2011社・・
数が少ない順
1 和歌山(注)426社 2 大阪 568社 3 北海道 594社 4 宮崎 653社 5 青森 729社 6 山口 737社 7 鳥取 822社 8 三重 825社 9 岩手 835社 10 香川 836社 11 宮城 975社・・
(注){明治39年12月、「神社合祀令」<一町村一社を原則に神社統廃合を行なうという主旨>;三重県では6500社が1/7以下に、和歌山県では3700社が1/6以下に統合・合祀されたとされる。結果として全国ではおよそ19万社が12万社に統合されたと云う。}
◇{祭神が八幡神、天神、熊野権現、牛頭天王などを祀る社では、明治維新前までは、神社というより実態は寺院であるといったほうが適切である社が多数を占めることが見てとれる。 特に'大社'であればあるほどその傾向は強かったと思われる。
またさらに、白山、日吉、春日、愛宕、金毘羅、秋葉、石動などを加えれば、社僧・寺院が実権を握り祭祀した社あるいは寺院の鎮守的な地位であった社が大多数を占めていたことも見えてくる。 }
◇{明治の神仏分離の過程を経て、国家神道の成立で、出雲神道系などの信仰が否定され衰退し、また、多くの祭神が、地主神や氏神から「古事記」「日本書紀」などの皇統譜につながる神々に付会され、祭神変更が強引になされたケースが極めて多かったことも考えあわせると、現今、神社と称するものの多数の実態は依然として「国家神道」そのものが見事に「保存」されているというべきである。
【諏訪信仰】
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。
【妙見信仰】
妙見(ミョウケン)信仰とは、一般には仏教でいう北辰妙見菩薩(ホクシンミョウケンボサツ)に対する信仰をいうが、その原姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰である。この北辰・北斗信仰がわが国に入ったのは推古天皇のころというが、その真偽は不明。ただ、奈良・明日香の高松塚古墳の天井に北斗七星が、北壁に北斗の象徴である玄武像(ゲンブ、亀と蛇とがかみついた像)が描かれ、また正倉院御物にも金泥・銀泥で北斗七星が描かれた合子(ゴウス)があることなどからみると、奈良時代に知られていたのは確かである。
【日本三大妙見】福島の相馬妙見、大阪の能勢妙見、八代の妙見宮
795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。1160年(永暦元年)、中宮を建立。1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣隆房により下宮が創建された。
1870年(明治3年)までは妙見宮と呼ばれた。妙見神とは、北極星・北斗七星の象徴である。神道と仏教の両部の宮寺で、広く崇敬を受け、八代、下益城、芦北三郡の一の宮として栄えた。1871年(明治4年)、神仏分離令により、天之御中主神、国常立尊を祭神とし、社名を八代神社と改められ、県社となった。

この神社は福正元町にある少名彦命神社です。

この看板にこの神社が天正16年(1588)頃小西行長によって破却されたとあります。この時期八代の神社や仏閣はほとんど焼き討ちされたようですが、現存するものは加藤清正の時代に再興されたものが多いようです。たまたま頭に残っていたので写真を調べてみるとこの資料が出てきました。
Posted by マー君 at 17:28│Comments(0)