2013年07月30日
雲南市~出雲へ
荒神谷遺跡から加茂岩倉遺跡まで山を隔てて3.4キロメートルと案内板に有りましたので、すぐそこだと思い岩倉遺跡まで行きましたが、車の道は山道とは違い5倍以上の道程があった様に思います。



●写真の流れは右から左 道は見学用に造られました




遺跡の道の突き当りに加茂岩倉遺跡ガイダンスがあり、館長さんから出土当時の様子や加茂町の遺跡の事を詳しく聞いて、今日見て廻ったほかにも神原神社古墳から景初三年銘の三角縁神獣鏡「魏志倭人伝の中に魏王が邪馬台国の卑弥呼に100枚贈ったとされる鏡」の2枚目が出土した(昭和47・1972)という話を聞きました。(1枚目は大阪府・黄金塚古墳から出土)遅くなったので神原神社は明日行く事にしました。



朝早くから神社に向かいました。この神社は河川工事の為 移転して現在地に残されていました。この古墳は4世紀中頃に造られたものらしい。(古墳は3世紀末~4世紀初頭 畿内地方で始まり全国に広まった)



これだけの物が雲南市で発掘されているので、この出雲のどこかにずっと昔優れた文明を持つ大きな国が在った事は紛れもない。
各々の遺跡から発掘された出土品は島根県立古代出雲歴史博物館に展示されていると聞いていたので出雲大社まで出かけました。

勢溜(せいだまり)の大鳥居・・昔は芝居小屋が立ち並び参拝客が足を止めて集まった事から人の勢いが溜まると言う事でこの様に呼ばれているそうです。出雲大社の東方向に博物館はあります。





この博物館は見答えがありました。二拝四拍手一拝で出雲大社にもお参りをしました。そして帰路へ9号線経由で帰りましたので、大変な思いをして帰りました。家に着いてから詳しい事を知りましたが突然の大雨で被害に遭われた津和野の方や、徳佐の方たいへんお気の毒な事でした。まだ雨が続きそうなので、気を付けて下さい。








遺跡の道の突き当りに加茂岩倉遺跡ガイダンスがあり、館長さんから出土当時の様子や加茂町の遺跡の事を詳しく聞いて、今日見て廻ったほかにも神原神社古墳から景初三年銘の三角縁神獣鏡「魏志倭人伝の中に魏王が邪馬台国の卑弥呼に100枚贈ったとされる鏡」の2枚目が出土した(昭和47・1972)という話を聞きました。(1枚目は大阪府・黄金塚古墳から出土)遅くなったので神原神社は明日行く事にしました。








各々の遺跡から発掘された出土品は島根県立古代出雲歴史博物館に展示されていると聞いていたので出雲大社まで出かけました。








Posted by マー君 at 12:05│Comments(0)