2020年08月15日
日本だけの終戦記念日??
1945年(昭和20年)8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午に昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結した。

第二次世界大戦で日本と敵対した連合国(アメリカ・イギリス・フランス・カナダ・ロシア)では、日本がアメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書へ調印した9月2日を終戦記念日としています。日本でも国家として公式に「終戦」となったのは降伏調印をした9月2日です。
なぜ連合国側と日本とでは終戦の日の認識が違うのかというと、日本がポツダム宣言を受託した8月14日には、すでにアメリカでは日本が降伏する事実が報道されており、当時のトルーマン大統領は日本が降伏文書へ調印したのを見届けてから「VJ Day(Victory over Japan Day:対日戦勝記念日)」の布告をすると宣言していたためです。
玉音放送は国民が初めて聞く昭和天皇の肉声であった。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人だった。1963年(昭和38年)から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。この追悼式は第二次世界大戦の日本人戦没者に対して宗教的に中立な形で行われる。1982年(昭和57年)4月の閣議決定により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となった。
●8月15日 毎日新聞余禄の記事
「思わざる失態」を演じるな――終戦の5日後、憲兵隊司令部から各部隊に注意を促す通達がなされた。終戦前日に命じた文書焼却についての念押しで、それが実に微(び)に入(い)り細(さい)をうがっているのがすごい▲引き出しの奥にはりついた文書はないか。棚の奥に落ちたもの、焼却物の焼け残りや周囲への散乱、私物の本へはさんだものはないか……箇(か)条(じょう)書(が)きで点検を求め、なかには「机の動揺止めの為(ため)脚下等に挟みたるもの」まで挙げている▲終戦時の文書焼却は軍だけでなく、内務省、外務省などでも行われ、市町村の書類にも及んだ。内務省の焼却は三日三晩に及び、外務省は8000冊を焼いたという。明治国家は軍人や役人の戦争責任を煙に変えた炎とともに滅んだ▲コロナ禍という世界的試練の中で迎える終戦から75年の節目である。行政文書による記録を義務づける「歴史的緊急事態」に指定されたコロナ対応だが、果たして後日の検証や将来の感染症対策に資する記録がなされているだろうか▲疑うのは、今の政府の公文書管理のでたらめを見てきたからである。さらに振り返れば、外国の文書公開で自国の密約外交を知った日本の「戦後」だった。75年を経ても、日本人はその事績を公文書で検証できる政府を築けないのか▲途方もない無責任の連鎖が引き起こした先の戦争であった。その内外の戦没者の魂を鎮める日、どんな為政者も官吏も、いつか必ず文書で立証される歴史の法廷に立ってもらう民主政治の原則を心に刻みたい。
8月15日西日本新聞・春秋
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」。75年前の今日、全国に流れた玉音放送。玉音とは玉のような音、転じて天皇の肉声を指す
▼この日の新聞は放送終了を待ち配られた。本紙1面にもその玉音放送の全文、つまりポツダム宣言を受諾した昭和天皇の終戦宣言が載った。敗戦の悔しさに泣いた人、解放感に安堵(あんど)した人。受け止め方はそれぞれだったろう
▼長崎の自由律俳人松尾あつゆきは玉音の瞬間をこう詠んだ。<降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(おこ)りつ>。伴侶を焼く炎を見つめる空虚な心に玉音はどう響いたか
▼彼は長崎で被爆、まず3人の子を失った。<炎天、子のいまわの水をさがしにゆく>。どうにかこうにか3人を荼毘(だび)に付す。<ほのお、兄をなかによりそうて火になる>。焼け跡から助け出した妻も終戦の前日に逝った。<なにもかもなくした手に四まいの爆死証明>
▼松尾の師荻原井泉水(せいせんすい)は彼の心情をこう推し量った。<涙も涸(か)れてしまったのちに魂からしみ出る涙であり、嘆息する息もとまったのちの嘆きの息である>
▼今年も迎えた終戦の日。コロナ禍に7月豪雨災害が追い打ちをかけ、涙も嘆きの息も止まる心境の方もいよう。ただ「堪え難きを…」に続く玉音は「万世の為(ため)に太平を開かん」(永久に平和な世界を開こう)だった。松尾らの幾万の涙や嘆きをしかと胸に刻み、反戦という当たり前の真理を思い起こす今日にしたい。

第二次世界大戦で日本と敵対した連合国(アメリカ・イギリス・フランス・カナダ・ロシア)では、日本がアメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書へ調印した9月2日を終戦記念日としています。日本でも国家として公式に「終戦」となったのは降伏調印をした9月2日です。
なぜ連合国側と日本とでは終戦の日の認識が違うのかというと、日本がポツダム宣言を受託した8月14日には、すでにアメリカでは日本が降伏する事実が報道されており、当時のトルーマン大統領は日本が降伏文書へ調印したのを見届けてから「VJ Day(Victory over Japan Day:対日戦勝記念日)」の布告をすると宣言していたためです。
玉音放送は国民が初めて聞く昭和天皇の肉声であった。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人だった。1963年(昭和38年)から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。この追悼式は第二次世界大戦の日本人戦没者に対して宗教的に中立な形で行われる。1982年(昭和57年)4月の閣議決定により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となった。
●8月15日 毎日新聞余禄の記事
「思わざる失態」を演じるな――終戦の5日後、憲兵隊司令部から各部隊に注意を促す通達がなされた。終戦前日に命じた文書焼却についての念押しで、それが実に微(び)に入(い)り細(さい)をうがっているのがすごい▲引き出しの奥にはりついた文書はないか。棚の奥に落ちたもの、焼却物の焼け残りや周囲への散乱、私物の本へはさんだものはないか……箇(か)条(じょう)書(が)きで点検を求め、なかには「机の動揺止めの為(ため)脚下等に挟みたるもの」まで挙げている▲終戦時の文書焼却は軍だけでなく、内務省、外務省などでも行われ、市町村の書類にも及んだ。内務省の焼却は三日三晩に及び、外務省は8000冊を焼いたという。明治国家は軍人や役人の戦争責任を煙に変えた炎とともに滅んだ▲コロナ禍という世界的試練の中で迎える終戦から75年の節目である。行政文書による記録を義務づける「歴史的緊急事態」に指定されたコロナ対応だが、果たして後日の検証や将来の感染症対策に資する記録がなされているだろうか▲疑うのは、今の政府の公文書管理のでたらめを見てきたからである。さらに振り返れば、外国の文書公開で自国の密約外交を知った日本の「戦後」だった。75年を経ても、日本人はその事績を公文書で検証できる政府を築けないのか▲途方もない無責任の連鎖が引き起こした先の戦争であった。その内外の戦没者の魂を鎮める日、どんな為政者も官吏も、いつか必ず文書で立証される歴史の法廷に立ってもらう民主政治の原則を心に刻みたい。
8月15日西日本新聞・春秋
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」。75年前の今日、全国に流れた玉音放送。玉音とは玉のような音、転じて天皇の肉声を指す
▼この日の新聞は放送終了を待ち配られた。本紙1面にもその玉音放送の全文、つまりポツダム宣言を受諾した昭和天皇の終戦宣言が載った。敗戦の悔しさに泣いた人、解放感に安堵(あんど)した人。受け止め方はそれぞれだったろう
▼長崎の自由律俳人松尾あつゆきは玉音の瞬間をこう詠んだ。<降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(おこ)りつ>。伴侶を焼く炎を見つめる空虚な心に玉音はどう響いたか
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雲仙普賢岳祈りの日・いのりの日(6月3日 記念日)
横浜港開港記念日・長崎港開港記念日(6月2日 記念日)
世界禁煙デー(5月31日 記念日)
消費者の日(5月30日 記念日)
エベレスト登頂記念日(5月29日 記念日)
百人一首の日(5月27日 記念日)
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Posted by マー君 at 09:38│Comments(0)
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