2016年11月19日
神様の話
11月16日(水)はさわやか大学の11期生OB会の旅行がありました。行先は宗像大社と宮地嶽神社の日帰りのバス旅行です。2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が選ばれ、来年2月1日までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、17年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受けることになっているそうです。また宗像大社はそこに祀られている神様が日本神話に出てくる宗像三女神という事で、非常に興味がわき神様の事を勉強するいい機会になりました。
ただ残念なことは折角宗像大社に行っているのに4世紀後半から約500年にわたって執り行われた大和朝廷による国家祭祀(沖ノ島祭祀)の奉献品(8万点にも及ぶ)を展示している新宝館の見学がなかった事、すごく悔やまれてなりません。
宗像大社の門前

●日本神話は
八世紀初めに書かれた「古事記」と「日本書紀」の記述がもとになっています。「国生み(くにうみ)」とよばれる国土創生譚ではイザナギとイザナミの男女の神が地上に降り立ち日本国土を形づくる多数の子を生みだしたとされる。「天孫降臨」はアマテラスの孫であるニニギが日本の国土を統治するため地上に降臨したという説話です。
●宗像大社は
沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、大島の中津宮(なかつみや)、田島の辺津宮(へつみや)の三宮からなる神社で、朝鮮半島へ向かう海の道「海北道中」に軸線上に並び、島伝いの壮大な神社を形成しています。全国でおよそ6400社存在する宗像三女神を祀る神社の総本社です。
宗像大社の由緒
ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。
宗像大社からまっすぐに海に向かって道がついています
●宗像三女神は
『日本書紀』によれば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)に邪心がないことを示すために、それぞれが持っている剣と玉を交換し、誓約(うけい)(正しいか否か判断するための占い)をしたといわれています。 天照大神が素戔嗚尊の剣をとり、天真名井(あめのまない)にすすぎ、これをかみ砕いて口から息を吹きかけると、その息の中から三人の女神が誕生しました。これが宗像三女神です。三人の女神は、それぞれ田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神といい、田心姫神は海上に発生する霧を、湍津姫神は潮流の激しい様子を、市杵島姫神は神を祀る行為を表すといわれています。
●道主貴(みちぬしのむち)
日本書紀の一書には、アマテラスが三女神に「道」の中にあって「天孫」を助けよと命じ、三神は《道主貴(みちぬしのむち)》と命名されたことが記されています。「道」とは回路を示し《道主貴》とはその海路の神のことを言います。
道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(※天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(※大国主命)のみですので、宗像三女神が皇室をはじめ、人々からいかに篤い崇敬を受けていたかがうかがえます。 また、ここ宗像の地は中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり、「古事記」「日本書紀」によれば、三女神は天照大神と素戔嗚尊の誓約のもとに誕生し、天照大神の神勅によって、この大陸との交通の要路にあたる「海北道中(かいほくどうちゅう)」(宗像より朝鮮半島に向かう古代海路)に降臨されました。 当大社には二千数百年前に交通安全のためにお供えされた、人形(ひとがた)、馬形、舟形といわれる石製の形代(かたしろ)(実物に代わるもの)が、現在国宝として保存されていますが、これは古代より、「道の神様」としての篤い信仰を集めていたことを表しています。
●「社」と「宮」について
「社」はもともと神の来臨する聖域を指し、「宮」はそこに設けられた祭りの時の仮屋の事を指していますが平安時代初期に定められた法律書「延喜式内社・延喜式」の神名帳によると「宮」がつくのは11のみで後のすべては「社」となっています。
皇大神宮(伊勢内宮)
豊受大神宮(伊勢下宮)
荒祭宮・あらまつりのみや(伊勢別宮)
瀧原宮・たきはらのみや(伊勢別宮)
伊佐奈岐宮・いざなぎのみや(伊勢別宮)
月読宮・つきよみのみや(伊勢別宮)
高宮・たかのみや(伊勢別宮)
---------------
鹿島神宮(陸奥・茨城県)
香取神宮(下総・千葉県)
八幡大菩薩 筥崎宮(筑前・福岡県)
八幡大菩薩宇佐宮(豊前・大分県)

「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31 529 3553
6/1 -6/30 217 3770
7/1 -7/31 113 3880
8/1 -8/31 111 3994
9/1 -9/31 74 4068
10/1-10/31 55 4123
11/1 5 4128
11/2 0 4128
11/3 0 4128
11/4 1 4129
11/5 0 4129
11/6 1 4130
11/7 1 4131
11/8 1 4132
11/9 2 4134
11/10 1 4135
11/11 1 4136 (震度4)
11/12 1 4137
11/13 3 4140
11/14 1 4141
11/15 4 4145
11/16 0 4145
11/17 3 4148
11/18 1 4149
ただ残念なことは折角宗像大社に行っているのに4世紀後半から約500年にわたって執り行われた大和朝廷による国家祭祀(沖ノ島祭祀)の奉献品(8万点にも及ぶ)を展示している新宝館の見学がなかった事、すごく悔やまれてなりません。
●日本神話は
八世紀初めに書かれた「古事記」と「日本書紀」の記述がもとになっています。「国生み(くにうみ)」とよばれる国土創生譚ではイザナギとイザナミの男女の神が地上に降り立ち日本国土を形づくる多数の子を生みだしたとされる。「天孫降臨」はアマテラスの孫であるニニギが日本の国土を統治するため地上に降臨したという説話です。
●宗像大社は
沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、大島の中津宮(なかつみや)、田島の辺津宮(へつみや)の三宮からなる神社で、朝鮮半島へ向かう海の道「海北道中」に軸線上に並び、島伝いの壮大な神社を形成しています。全国でおよそ6400社存在する宗像三女神を祀る神社の総本社です。
宗像大社の由緒
ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。
●宗像三女神は
『日本書紀』によれば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)に邪心がないことを示すために、それぞれが持っている剣と玉を交換し、誓約(うけい)(正しいか否か判断するための占い)をしたといわれています。 天照大神が素戔嗚尊の剣をとり、天真名井(あめのまない)にすすぎ、これをかみ砕いて口から息を吹きかけると、その息の中から三人の女神が誕生しました。これが宗像三女神です。三人の女神は、それぞれ田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神といい、田心姫神は海上に発生する霧を、湍津姫神は潮流の激しい様子を、市杵島姫神は神を祀る行為を表すといわれています。
●道主貴(みちぬしのむち)
日本書紀の一書には、アマテラスが三女神に「道」の中にあって「天孫」を助けよと命じ、三神は《道主貴(みちぬしのむち)》と命名されたことが記されています。「道」とは回路を示し《道主貴》とはその海路の神のことを言います。
道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(※天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(※大国主命)のみですので、宗像三女神が皇室をはじめ、人々からいかに篤い崇敬を受けていたかがうかがえます。 また、ここ宗像の地は中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり、「古事記」「日本書紀」によれば、三女神は天照大神と素戔嗚尊の誓約のもとに誕生し、天照大神の神勅によって、この大陸との交通の要路にあたる「海北道中(かいほくどうちゅう)」(宗像より朝鮮半島に向かう古代海路)に降臨されました。 当大社には二千数百年前に交通安全のためにお供えされた、人形(ひとがた)、馬形、舟形といわれる石製の形代(かたしろ)(実物に代わるもの)が、現在国宝として保存されていますが、これは古代より、「道の神様」としての篤い信仰を集めていたことを表しています。
●「社」と「宮」について
「社」はもともと神の来臨する聖域を指し、「宮」はそこに設けられた祭りの時の仮屋の事を指していますが平安時代初期に定められた法律書「延喜式内社・延喜式」の神名帳によると「宮」がつくのは11のみで後のすべては「社」となっています。
皇大神宮(伊勢内宮)
豊受大神宮(伊勢下宮)
荒祭宮・あらまつりのみや(伊勢別宮)
瀧原宮・たきはらのみや(伊勢別宮)
伊佐奈岐宮・いざなぎのみや(伊勢別宮)
月読宮・つきよみのみや(伊勢別宮)
高宮・たかのみや(伊勢別宮)
---------------
鹿島神宮(陸奥・茨城県)
香取神宮(下総・千葉県)
八幡大菩薩 筥崎宮(筑前・福岡県)
八幡大菩薩宇佐宮(豊前・大分県)

「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31 529 3553
6/1 -6/30 217 3770
7/1 -7/31 113 3880
8/1 -8/31 111 3994
9/1 -9/31 74 4068
10/1-10/31 55 4123
11/1 5 4128
11/2 0 4128
11/3 0 4128
11/4 1 4129
11/5 0 4129
11/6 1 4130
11/7 1 4131
11/8 1 4132
11/9 2 4134
11/10 1 4135
11/11 1 4136 (震度4)
11/12 1 4137
11/13 3 4140
11/14 1 4141
11/15 4 4145
11/16 0 4145
11/17 3 4148
11/18 1 4149
Posted by マー君 at 12:11│Comments(0)