奥の細道、名前の由来
この2日間、松尾芭蕉の記事に触れてきましたが「奥の細道」とは誰が名前を付けたのだろうか?そんな疑問が頭に浮かび調べることにしました。
BS、TBS〝謎解き!”江戸のススメ過去の放送〟の中で取り扱われました。
『奥の細道』の書名の由来となった「おくのほそ道」は仙台藩領内にあった名所・旧跡の1つで、仙台を拠点していた俳諧師、大淀三千風(おおよど・みちかぜ)が名付けたといわれています。大淀は「松島」の景観を全国に広める努力にも力を注ぎ、芭蕉が旅立つ7年前の天和2年(1682)に撰集『松島眺望集』を発表。芭蕉が「奥の細道」の旅に出るきっかけになったのもこの本の影響といわれています。紀行文としても評価の高い『奥の細道』ですが、同行した曽良の旅日記と比べると食い違う点が多く、虚構性が指摘されています。日付だけでなく地名や門人の名前まで意図的に変えていることから、芭蕉が「奥の細道」を日記や記録の類としてではなく、文学作品として捉えていたことがわかります。あくまで一人の俳諧師として生きた芭蕉は、この作品を出版しようとは思っていなかったらしく、門人の向井去来が所蔵していた清書本を元に芭蕉死後の元禄15年(1702)に京都の井筒屋から刊行され世に広まりました。
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