お正月とお餅
正月にお餅を食べるようになった理由と由来
1. 日本に最初に渡来したコメはもち米だったが、ウルチ米が普及し、今ではほとんど作られなくなった。
2. お餅はハレの日に神さまに捧げる神聖な食べ物であり、その文化が継承された。
3. 平安時代の正月行事「歯固めの儀」をきっかけに、正月にお餅を食べるようになった。
お正月に食べるお餅には・・
年神様に供えた「神聖なお餅」を神棚から下ろし、そのお餅をいただくことで、一年の無病息災を祈る。・・というそんなありがたい意味が込められています。
◎餅は長く伸びて切れない → 寿命も伸びて切れない → おめでたい
【鏡餅】は、日本の伝統である、餅を神仏に供える正月飾り(床飾り)であり、 穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。
名称の由来
鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡【やたのかがみ】を形取ったものとも言われる。また、三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉【やさかにのまがたま】に見立てた物が橙(ダイダイ)、天叢雲剣【あまのむらくものつるぎ】に見立てた物が串柿であるとされる。
【鏡開き】
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
●ハレ
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」と言ったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代まで遡ると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
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