神様の話③ 祭り

マー君

2016年11月22日 16:44

八代では22日、23日と妙見祭が行われます。毎年のことながらこの時期になりますと馬が出たり獅子が舞ったり、賑やかな雰囲気が漂います。今年はユネスコ無形文化遺産登録も控えていますのでなおさら賑合う事でしょう。語源由来辞典によりますと、祭の意味は神仏や祖先の霊に祈願、感謝する儀式とあります。祭は動詞「祭る」の連用形の名詞化。神仏に物を献上したり、差し上げることが祭の原義とみられるため謙譲語「たてまつる」と同じ意味の「奉る・まつる」と同源と考えられる。・・とあります。八代神社(妙見宮)

八代市の妙見祭についてのガイドブックより
【妙見宮の由来】 妙見祭は、八代市妙見町にある妙見宮の秋の大祭です。妙見宮は、明治以降、八代神社と呼ばれ、この地域で最も大きな神社として人々の崇敬を集めてきました。
その歴史は古く、天武天皇白鳳9年(680)に、八千把村竹原津(現在の八代市立第2中学校に隣接する竹原神社の辺りと考えられています)に鎮座したのが始まりと伝えられています。その後延暦14年(795)に横嶽(三室山)の山頂に上宮が創建され、永歴元年(1160)には上宮の麓に中宮、文治2年(1186)に現在の八代神社の場所に下宮が創建されました。

【妙見祭のはじまり】
妙見宮の前に位置する山岳部には、14世紀以降、名和氏が築いた山城・古麓城(当時の八代城)があり、この一帯が八代の政治・経済・文化の中心地でした。妙見宮の周辺には多くの寺院が建ち並び、商工業者が門前町・城下町を形成し、海外との交易も行われ、おおいに繁栄していたと考えられています。
相良氏が八代を治めた16世紀には、すでに妙見下宮から中宮へ神輿の神幸、舞楽や流鏑馬などの祭礼行事が行われ、多くの見物人を集めていたようです。




塩屋八幡宮
塩屋町の笠鉾
笠鉾の説明書き
本町商店街に各町の傘鉾が飾られています。明日の朝からはお上り行列に参加します。塩屋八幡宮を7時半ごろ出発して八代神社に迎い砥崎河原で紹介、演舞が5時ごろまであります。祭りは7時ごろ終わります。




以下、日本の祭りの歴史と変遷 サイトより引用
日本の歴史の中で一番初めに行なわれた祭りは日本神話の中の天照大御神(通称:アマテラス)と建速須佐之男命(通称:スサノオ)、そしてアメノウズメら神々による有名な「岩戸隠れ」のエピソードです。
太陽神であるアマテラスが弟であるスサノオの傍若無人な振る舞いに怒り、天の岩戸の中に隠れ引きこもってしまった。太陽神である彼女が隠れてしまったため国中から光りが消えてしまい、これに困った八百万の神々はなんとか彼女に出てきてもらおうと策をこらすことにした。彼らは岩の中のアマテラスの気を引こうと、鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉を捧げたり、祝詞を読み上げたりといった宴を行ない騒ぎ立てたが、中々彼女は出て来ない。そこでアメノウズメという女神が自らの裸をさらけだすほどに激しく舞を踊ったところ、他の神々は大いに笑い盛り上がった。するとその大騒ぎが気になったアマテラスはついに岩戸の中から顔を出し、世界には再び光が戻った。
このエピソードの中で神々がアマテラスに岩戸から出てきてもらうために行なった宴は、人間たちが神様をもてなすためにしている祭りの形式そのものです。またアメノウズメの踊りは神様を呼ぶための踊り、つまり神楽の原点でもあります。祭りとは神様を自分たちのところに呼ぶためのもの、そういった意味ではこの神話は日本の祭りの「原型」といえるのではないでしょうか。

神話の祭りが庶民の祭りとして広がったのは・・・
祭りには農民たちの願いや民間信仰のために行なわれるもの、祭政一致の古代社会において宮中に祖先の霊を呼び起こしご神託を得るための政(まつりごと)として行なわれたもの、日本各地ではさまざまな形態の祭りが古代より行なわれていました。その中には神楽や囃子といった神様を喜ばせるための芸能も含まれていましたが、後に演目や芸能の形式も多様化し、祭りの細分化に一役買うこととなりました。ただでさえ多様であったところに、6世紀以降は仏教伝来、神仏習合を経て神社が神様だけでなく仏様も祀るもの、という在り方になるとともに、祭りもまたさまざまな意味を持つようになりました。
江戸時代になると祭りはすっかり庶民の娯楽として定着し、神輿や山車の行列、獅子舞、花火大会など現在もお馴染みの催しが多く見られるようになりました。またお盆に踊られる盆踊りや七夕など仏教、外国伝来の行事に由来するもの、武将たちの戦勝を祈念したもの、流行病の沈静化を願ったものなど新しい由緒を持つ祭りもどんどん生まれていきました。

神仏分離を経て・・・
長い間、神仏習合にもとづいて祭りは行なわれていましたが、明治維新とともに政府より発せられた「神仏分離令」によってその歴史は大きく変わることとなりました。
祭政一致社会をめざし、神道のみを国民の精神的要とする「国家神道」を掲げた政府は仏教と神道を切り離したばかりか、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教の撤廃を行ないました。単に神社から仏像を破壊したばかりではなく、仏と関係の深かった祭神の強制的な変更や追放、寺社の領地押収による廃寺化、仏教行事の禁止など、日本からありとあらゆる仏教的要素が消えていきました。
神道においても神社は国家の管理下に置かれたことで、今までの体制を大きく変更させられることとなります。伊勢神宮を頂点として、天皇との関係が深い順に神社の位が定められた「社格制度」、複数の神社を統合、消滅させ一社ごとの威厳を強固なものにする「神社合祀」など、これらの政策は神社の在り方はもちろん、祭りにも多大な影響を及ぼしました。
仏教行事に由来した催事はもちろん、神仏両方を祀っていたものやそうでないもの、新しいものから伝統あるものまで、さまざまな祭りがこの政策で消滅してしまいました。残された祭りも仏教要素の排除や祭式統一化などを求められ、形式を変えられたものも多くあります。神仏分離令は日本の祭り史上に残る大混乱を起こしたのです。

妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合し、仏教の天部(サンスクリット語のデーヴァ (deva)の事で「神」に相当する語)の一つとして日本に伝来したものである。


「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31      529      3553
6/1 -6/30      217      3770
7/1 -7/31      113      3880
8/1 -8/31      111      3994
9/1 -9/31       74      4068
10/1-10/31      55      4123
11/1            5      4128
11/2            0      4128
11/3            0      4128
11/4            1      4129
11/5            0      4129
11/6            1      4130
11/7            1      4131
11/8            1      4132
11/9            2      4134
11/10           1      4135
11/11           1      4136 (震度4)
11/12           1      4137
11/13           3      4140
11/14           1      4141
11/15           4      4145
11/16           0      4145
11/17           3      4148
11/18           1      4149
11/19           0      4149
11/20           0      4149
11/21           0      4149 
熊本の地震はほぼ収まりつつあるようですが、今朝東北で大きな地震がありました。5年前の地震の余震との事・・・今後も要注意!

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